2013年12月 7日放送 クミコさん(第1866回)
会場 | 常葉学園(静岡市) |
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講師 | 歌手 クミコ |
講師紹介 | 1982年シャンソニエの老舗「銀巴里」でプロ活動を始める。 |
会場 | 常葉学園(静岡市) |
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講師 | 歌手 クミコ |
講師紹介 | 1982年シャンソニエの老舗「銀巴里」でプロ活動を始める。 |
「つながる」という言葉を意識し始めたのは、2011年3月11日の東日本大震災の日からです。
その日、私は生まれて初めてコンサートのため石巻市を訪れました。
3時からのリハーサルで、2時46分にはそろそろステージに上がってさあ準備をというとき、
突然ゴーっという地下鉄が走るような音がし、同時にガーンという大きな揺れが来ました。
会場の建物は築40年以上と古く、コンサートの後は取り壊すという話も聞いていたので、
果たして生きてここから出られるのかと思いましたが、
幸い外に出られ、裏山に誘導されて上っていきました。
雪が舞い、あたりは昼間とは思えないほど暗くなっていました。
途中、誰かが「水が来た」と叫び、
後ろを見るとさっきまでいた会場の駐車場で車がくるくると回っているのが見えました。
その日は裏山で一晩過ごしました。車の中で休んでいましたが、
ガソリンもなく暖をとることも出来ません。
カーラジオからの声を聞いていますと、被害状況とともに、
「皆さん、周りに一人の人はいませんか。もしいたら勇気を出して声を掛け合いましょう」
「辛い夜ですが、必ず朝は来ます」と、繰り返し呼びかけていました。
私は、ラジオの向こうに誰かがいてその人に自分がすがっている、
そして向こうの誰かも私のことを
「どうしているか」と心配しながら窺っているのだと自覚しました。
何日かたち、東京に戻ると、
今までいた場所の様子を始めて知り、私は無力感に襲われました。
自分は温かい食べ物を食べ、温かい布団で寝ている。
歌なんて人を愛するとかあなたに会えてよかったというような内容ばかりで、
そんな言葉を口にしたら涙になってしまうような状態で、
2ヶ月間、笑うことも出来ませんでした。
ところが3ヶ月経ったある日、石巻のコンサートの主催者から、
是非復興のために歌いに来て欲しいと言うお話がありました。
この機会を逃したら一生歌えないと思い、石巻に向かいました。
会場は店舗の横です。
そこでは、皆さんが「お帰りなさい」「よく来てくれましたね」といって歓迎してくださいました。
私は涙がぼとぼとと落ちてきて、
このままでは歌えないと気を取り直してステージに上がり歌い始めると、
今度は会場の方たちが泣き始めました。
皆さんは、「今までずっと泣くことを我慢していました」「泣かせてくれてありがとう」と言いました。