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過去の放送

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2014年11月29日放送 川村妙慶さん(第1914回)

会場
大須賀中央公民館(掛川市)
講師
僧侶・アナウンサー 川村妙慶

講師紹介

福岡県生まれ。真宗大谷派僧侶。
関西を中心にラジオ番組のパーソナリティーなどをつとめる。
ホームページで日替わり法話を毎日更新し、
メールでの悩み相談にも応じている。


ポイント第1914回「希望を持って生きる」

私のもとには「生きていても仕方がない」
「自分なんか消えてしましたい」と言ったメールが送られてきます。

人間はいろいろなご縁の中で生きているので、
嬉しいご縁があれば気持ちも高まりますが、
つらい出来事や厳しい言葉を受けるとへこんでしまいます。
これが人間です。

でもなかったことには出来ません。

では、人間はなぜ悩むのでしょう。

それは、結果に納得がいかないから。
どうしても今の状況が受け入れられないからです。

すべてを納得できている人はいますか。

妥協してしまわなければならない。
あるいはすべてを受け入れなければならないことがあります。

例えば親兄弟にすべて納得していますか?
ましてや自分自身に対しても私たちは納得できないことがあります。
もう少し背が高ったらとか、
顔がよかったらもう少し違う人生だったのにとか。

人間には欲望というものがあります。
漢字の話をしますと、欲と言う字は谷が欠けると書きます。
山の欠けた所が谷です。

私たちは山の部分を見ないで
欠けた谷のところばかりを見て、
満たしたい、満たしたいと思い悩んでしまいます。

でも私たちはあればあったでそれが当たり前になってしまいます。

希望と言うのは、欲しい気持ちを満たすことではありません。

むしろ、満たされない谷の部分から
光がポーっともれてくる。
そこにどうやってこれから生きて行こうか、
未完成な自分はどうやって生きていけばいいのだろうと
求める気持ちが希望なのです。

すべてこれいいのだという
満たされたところから希望は生まれないのだと思ってください。

親鸞上人の歎異抄にある
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」の善人とは
「私は正しい」と思っている人。
だから善人ばかり集まるとお互いに認めることがなく、
ケンカが起こり、地獄になる。

悪人とは、悪いことや失敗をしても
そのあとにごめんなさいと言える人間のことで、
自分も悪かったと頭を下げられれば必ず救われると親鸞は仰ったのです。

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