2015年12月20日放送 平野啓一郎さん(第1965回)
- 会場
- 焼津文化会館小ホール(焼津市)
- 講師
- 小説家 平野啓一郎
講師紹介
1975年生まれ。北九州市出身。
1999年、京都大学在学中に「日蝕」で芥川賞を受賞。
2016年刊行の「マチネの終わりに」は
20万部を超えるロングセラーとなり、映画化も決定。
番組で紹介した本
「私とは何か・分人主義のススメ」 著者:平野啓一郎(講談社現代新書)第1965回「分人主義で職業選択を考える」
学校、特に初等教育の段階では、
画一的な教育をやらないといけないと私は考えます。
社会生活をする上で、
言語やお金の計算というようなものが出来ないと困るし、
どんなに学校が嫌いでもそれがないと社会では生きていけないからです。
ところが高校生ぐらいになると自分の適性を見定めて、
進路を決めなくてはならなくなります。
文系か理系か、あるいは何学部の何学科に進むかといったようにです。
僕は文系で法学部に行きましたが、
何で行ったのと聞かれても、あまり理由はありませんでした。
大学を卒業する1998年ごろはバブルも崩壊して、
厳しい時代に入りました。
個性的に生きろとよく言われましたが、
それは、やりたい仕事につくという意味だと思っていました。
でも就職は思うようにいかず、挫折感を味わった人も多くいました。
自分のやりたいこと、つまり自己実現ということを社会の側から考えると、
近代以降、都市の規模が大きくなり
人口も増えてきて仕事が分業化されてきました。
細分化されたところには、常に人が補充されないといけません。
例えば農業でも、耕すひと、肥料を作る人、機械を作る人、
小売業の人などに分かれて従事しています。
そこに人が補充されないと社会が止まってしまうことになります。
士農工商のような身分が固定された階級社会では
新しい分野に人を送り込むことは不可能ですが、
職業選択の自由を保証すれば
我々はそれぞれ給料のいいところを選んで就職し、
必要のないところには自然と人が少なくなる。
それが職業選択の自由という意味だと思います。
しかし逆に言うと、若者たちに義務を課していることともいえます。
常に誰かが補充されないと困るので、
早く自分の個性を見つけて1つの仕事を見つけなさいと言うのです。
10代の若さでそのことは、かなりのプレッシャーになるのではないでしょうか。
好景気の時代ならまだしも、今のような不景気の時代には、
終身雇用のように自分のアイデンティティと会社が深く強く結びついていると、
その仕事に就けなかったり、途中で解雇されたりすれば心が病んでしまい、
アイデンティティの危機につながってしまいます。
そこで僕が提案したのが「分人」という考え方です。
人は1つの個性で縛られるのではなく、いくつもの自分がいて、
どれも自分であるというものです。
それは職業の選択にも当てはめることが出来ます。