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過去の放送

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2023年9月 3日放送 立川談慶さん(第2346回)

会場
テレビ静岡(静岡市)
講師
落語家 立川談慶

講師紹介

1965年長野県生まれ。慶応義塾大学卒業。
3根完夫サラリーマン経験を経て、落語の道へ。
立川談志18番目の弟子。2005年真打昇進。
本格派(本書く派)落語家、著述業でも活躍。

番組で紹介した本

「花は咲けども噺せども 神様がくれた高座」 著:立川談慶(PHP研究所)

ポイント第2346回「落語はこころの処方箋」

「落語」を聞くと、心が安らぐとか、落ち着くとか、いい雰囲気になるのはなぜかとずっと考えてきました。落語は会話から始まります。会話と会話の間をみなさんの持っている想像力で埋めるのが落語です。分かりやすい小ばなしがあります。

ある美術館に知ったかぶりをする女性が現れました。

女性「先生、ご無沙汰しています。あら、こちら素晴らしいルノワールの絵でございますね」
先生「いや、奥様、これはゴッホでございます」
女性「失礼いたしました。あら、こちら素晴らしいゴッホの絵でございますね」
先生「奥様、これがルノワールでございます」
女性「とんだ失礼をいたしました。あ、この絵なら私にも分かります。こちら素晴らしいピカソの絵でございますね」
先生「奥様、これは『鏡』でございます」

これが、落語のすべての象徴です。私がピカソの絵を見せたわけではないのに、みなさんが頭の中でピカソの絵と奥さんの顔を結び付けて、笑いになっていく。この、会話から想像力へつなぐところが落語の一番の「肝」になっています。

江戸時代、江戸の町は世界最大の人口100万人を有する都市でした。いまの東京23区よりはるかに狭い地域に50万人の武家と、50万人の町民が住んでいたと言われています。命の確保はされていますがストレスフルな状況でした。長屋の6畳一間くらいのスペースに6、7人が息をひそめて暮らしていました。

壁も薄くて、隣の家の夫婦げんかも聞こうと思えば聞こえてしまう。垣根越しに隣の家の娘さんが行水に浸かっている姿も、覗こうと思えば覗けてしまう。聞こえているけれど聞こえないふりをする、見えるけれど見えないふりをする。こういうエチケットが江戸っ子の基本だったわけです。

そしてこれが、現代ではマイナスなイメージでとらえられがちな「忖度」です。相手のことをおもんぱかって行動する、想像力をさらに進化させた行為「忖度」が芽生えたのです。落語はまさに忖度の芸と言えます。

「ああ、きれいな桜が咲いてるね」と言うと、みなさんがいままでの人生で味わった最高級の桜を思い浮かべる。落語家が言うことに対して先走って想像してくださる行為は忖度と言えます。この忖度が江戸の価値観でもあり、落語の肝なわけです。みなさんがスッと落語の世界に入っていただけるというのは、この忖度という訓練ができているからです。

そして、もうひとつ落語の世界でいいなと思うのは、「勝ち負けではない」ところです。勝ち負けは現代の価値観です。勝ったり負けたり競争が原理です。人よりも頑張っていい大学に入って、いい会社に入って、いいポジションに就いて、とならざるを得ないというのがいまの環境です。勝つか負けるかのどちらかで、追い込まれるから苦しいのです。一方、落語の世界には、一切勝ち負けとは関係ないような登場人物が出てきて、その言動に触れて「なんかいいな」と感じる。これが落語が安らぎを与えてくれる部分です。

現代人は、大半が自分の思い込みだけで「結果が出ない」と悩んでいるのです。「あなたの考え方、凝り固まっていませんか?」と、落語を通して笑いながら教えてもらえる。「自分の考え方は間違っていた、一方向でしか見ていなかった、向こうから見ると違って見えるんだな」と思うきっかけを落語は作ってくれる。だから落語は、笑いながら聞きながらしみじみと良い気持ちになって「明日も頑張ろう」となる。まさに「心の処方箋」になってくれます。

落語を愛でていただいて、見方を変えることで、みなさんのストレスもなくなるものと信じています。

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