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過去の放送

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2023年9月17日放送 立川談慶さん(第2348回)

会場
テレビ静岡(静岡市)
講師
落語家 立川談慶

講師紹介

1965年長野県生まれ。慶応義塾大学卒業。
3根完夫サラリーマン経験を経て、落語の道へ。
立川談志18番目の弟子。2005年真打昇進。
本格派(本書く派)落語家、著述業でも活躍。

番組で紹介した本

「仕事も人間関係も生き苦しい人のための 落語に学ぶ粗忽者の思考」 著:立川談慶(WAVE出版)

ポイント第2348回「落語に学ぶ「粗忽者」の思考」

「粗忽者(そこつもの)」は、いまではあまり使わない言葉ですが、ドジでおっちょこちょいというダメな人を表す言葉です。現代社会では、「一生懸命努力して、人よりいっぱい稼いで、いい社会生活を営みなさい」という暗黙のプレッシャーがかかりますが、落語の中の人物はおしなべて粗忽者です。一生懸命頑張って成果を収めたという人は、なかなか落語には出てきません。出てくるのはドジでおっちょこちょいでダメな人。落語を聞くことで「ダメでもいいんじゃないかな」と思ってもらえれば、この世の中を生きやすくなると思います。

いまの時代は本当に細かいですよね。この間、笑ってしまう出来事がありました。コーヒーカップを買って箱のふたを開けると、注意書きに「落とすと割れることがあります」と書いてあるんです。要するに「割れたぞ」と文句を言う人が増えているから、その意見を未然に防ぐためにそういう差配がなされているわけです。気遣いは必要かもしれませんが、親切が行きすぎて、かえって窮屈になってしまっている気がします。

そんな、ちょっと窮屈だと感じている人たちが落語を聞きに来て、「昔はああだったんだ、落語の世界っていいな」と心をほぐして帰っていただけるから、落語が成り立っているわけです。

粗忽者を一番パワーアップさせた存在が「与太郎」、ドジでダメな人の代名詞です。与太郎が出てくる落語を「与太郎ばなし」と言い、その中に「道具屋」というはなしがあります。道具屋はいまで言うフリーマーケットの元祖のような店で、与太郎はそこで壊れた時計を売っています。

客が来て、「こんな壊れた時計なんか売りつけるんじゃないよ。こんなもの買っても意味ないだろ」と言うと、ここで与太郎が落語史上に残る発言をします。「そんなことないよ。壊れた時計でもね、一日に二度は合うよ」。分かりますか?「10時10分で止まった時計は役に立たない」と思うのが凡人の発想です。でも与太郎は、「午前と午後の10時10分に合う」と、こういう発想をするんです。

師匠の立川談志は、「与太郎はバカじゃない。ダメじゃない。ただ、非生産的なだけだ」と言っていました。もっと掘り下げてみると、壊れた時計にすら存在意義を与えてあげるというのは、与太郎の優しさではないかと思います。

「寿限無」という落語があります。長い名前を付けられた子どもがもたらす騒動のはなしです。ある小学校で寿限無を披露すると、5年生の女の子が「落語の登場人物はみんな優しいんですね。私のクラスに、もし寿限無くんみたいな長い名前の子が転校してきたら、私はからかったり、『変な名前だね』とちょっと意地悪なことを言ったりするかもしれない。でも、落語の世界にはそういう人は出てこないんですね」と言ったのです。

「否定したりつっこみを入れて相手の行動を是正したりするよりも、まずは受け入れてしまったらどうか。受け入れるところから面白いことが始まりますよ」ということを、寿限無は訴えているのかもしれません。

何が言いたいのかというと、「許容」です。ダメなことを言う人間がいたら、まずは受け入れてみよう。相手のことを受け入れたということは、自分のダメな部分も受け入れてもらいやすくなります。社会というのはフィフティーフィフティーでできています。

ダメな人たちを否定するどころか、コミュニティの大事な構成要員として優しく受け入れている。その受け入れている側にも注目して落語をきくと、さらなる深みを感じられるのではないかと思います。

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